歴史
町会のあゆみ
昭和初期、この辺りは小川町一丁目、二丁目、三丁目全体で「本小川町町会」という大変大きな組織だったが、戦時中の隣組制度を経て終戦とともに解散した。
現在の町会は、昭和30年2月12日に淡路小学校講堂において設立総会を開き、主として地域の連帯と親睦を目的として発足し、初代会長には布河谷善三郎氏が就任した。その後、昭和32年4月の総会において、清水弥太郎氏が二代目町会長として選任される。以来町会員の福祉増進(特に老人福祉)、青少年の健全育成、町内の環境美化を町会運営の三本柱とし、その優れた指導力から町会は大きく発展を遂げ、東京都知事を始め、区長、警察、消防その他の関係より数々の表彰を受けた。
昭和47年、東海地方の大地震を想定し、地域防災の必要性を考え、それまで執り行ってきた祭礼にかかる経費を防災に回す観点から、17年間祭礼に使用した山車と神輿を、東京都養護施設である都立宇佐見児童学園に寄贈し、同年9月1日、神田明神にて修抜を受け、小川町一丁目南部町会自衛消防隊を結成した。
町会の変動と現実
昭和初期、この辺りには約300世帯が居住、昭和30年の町会発足当時は、200世帯となったが、日常生活用品を扱う商店も数多くあり、生活には事欠かなかった。
しかし、その後昭和39年の東京オリンピックを契機とする経済高度成長期には、丸ノ内ビジネス街の延長になり、町は急速に、かつ大きく変貌する。生活環境の著しい変化により、今日では法人会員を含んでも町会員数は80会員と激減、世帯数も53世帯となり、夜間人口は60人程度となった。
小川町ハイツの全景