佐竹稲荷神社
小川町交差点を都電が走っていた
当町会のある神田小川町は、もともと多くの文化人の集まる街、学生の街として繁栄してまいりました。学生さんや行商人相手の旅館や下宿旅館もあり、学生さん相手の商店も多かった。またそれに伴う行商人により町にも活気がありました。住んでいる方も多く、世間話に花が咲く。子供達は馬車の荷台のうしろにぶらさがってみたり、ケン玉、メンコ、ベーゴマ、かくれんぼ、鬼ごっこ、子供用自転車、三輪車、缶蹴りなど元気に遊びまわっていました。数々の遊びが想い出されます。また紙芝居、駄菓子屋、おもちゃ屋もありました。
戦後暫くの間、小川町商店街通りにもラジオ商店や露天商がありました。バナナ室倉庫、井戸、汲み取り、ごみ箱等生活に不自由ない町会でした。金魚売、納豆売、キセル修理、トウガラシ売、とうふ売、シジミ売、雑貨売、アメ細工売、朝顔売、竹竿売、チンドン屋、お正月のしし舞、三河漫才、ナベ・釜・ヤカン修理等、行商人達が町中を歩いていました。また、盆踊り、ラジオ体操、少年野球大会、音楽隊、子供用図書館などを町会が主催して行っていました。
昔から交通の要所だった小川町交差点には、多くの都電が走っていました。10系は渋谷駅前から須田町間、12系は新宿駅前から両国駅前間、15系は高田馬場前から茅場町間、25系は西荒川から日比谷公園間、37系は三田から駒込千駄木町間です。しかし、昭和42年(1967)頃より東京中心部より都電が消え始め、今は新たな交通手段として、地下鉄丸の内線(淡路町駅)、千代田線(新お茶ノ水駅)、新宿線(小川町駅)が縦横に走っています。
昔あった町会のお店屋さん
古物商、洋服屋、呉服屋、旅館(業商人宿、下宿)、八百屋、魚屋、小物屋、クスリ屋、床屋、燃料(炭屋)店、酒屋、食料品店、レコード店、クリーニング店、碁会所、将棋所、ミシン塗装所、ダンス教習所、スポーツ用品店、電気部品店、羅沙店、眼鏡店、印刷所、おもちゃ屋、カバン店、テント、シート作業所、店舗装飾店、自動車塗装所、お風呂屋、マッサージ師、乾物店、本屋、喫茶店、のみ屋、飲食店、医者、はきもの店、時計店、米屋、文具店、海苔、お茶店、駄菓子屋、写真用品、氷屋、鮨屋、絵画材店、ガラス屋、銀行(十五銀行、近江銀行)、舞台用貸靴店