小川町一丁目南部町会
町会発足
宝暦5年(1755)江戸切絵図によると、この辺りは「近藤織部正」「岩佐郷蔵」「山田立長」らの武家地だっが、慶応三年(1867)には四軒町・武家地・雉子町となり、徐々に職人の町へと推移した。
その後大正12年の関東大震災による、震災復興都市計画(昭和6年)にともない町の様子も変わり、町名も小川町・美土代町四丁目・雉子町へと変わった。
さらに昭和8年(1933)「旧小川町の一部」「旧美土代町四丁目」「雉子町北一部」が「小川町一丁目」となり、小川町一丁目奇数番地1~11番地を「南」として、昭和30年「小川町一丁目南部町会」は発足した。
淡路町交差点(写真左)から小川町交差点(写真右)までの靖国通りに面しているのが『小川町一丁目南部町会』です。